{{category 雑文}} !!!「電波男」を読んだ。 「電波男」 ISBN4-86199-002-5 を買って読んだ。 {{amazon 4861990025}} 内容は Amazon の書評や種々の サイトで読む限りは、僕が常々主張していること そのまんまのようなので、それなりにわかっているつもりになっていた。 「電『車』男」なぞを買って読んでいる「恋愛資本主義」に洗脳された友人 (なんと2人もいる。)には常々、『これからは「電波男」の時代だよ』 なんぞと薦めてもいたし、著者の本田さんが書かれていたサイト (の一部だろうか?)の「日刊アスカ」にも昔通っていたこともあるので、 ひさしぶりに本屋にいった折、探してみたのだ。 読んでない方にはわけわかんないかもしれないけれど、自分なりにまとめと感想をかいておきます。 !!まとめ。 昔読んだ、小谷野 敦 さんの「もてない男」にもかかれていたような気がするのだが、 要は経済を回すためにセックス=女が流通している。 「電波男」の場合、その主張をすこし進めて「あかほりシステム」と名づけ、 「恋愛資本主義」下における経済がいかにキモヲタにとって不合理で、 生きにくいものであるか、明快に説明してくれている。 「恋愛資本主義」で儲けている、得をするのはそもそもこのシステムを、 収奪するために構築した広告代理店と、 (女を媒介にする)このような経済システムの結果、 金の下流に存在するイケメンである、というのだ。 僕も含めたブサメンは、このシステムから降りてしまいましょう、ということである。 あと、エロゲーやサブカルの解説が多々登場し、それらに籠められている このようなメッセージについて博識な本田さんは語っているのだが、 そこはオマケ。と見た。 当然ながらこの本はほぼ男性視点のみで語られている。 !!感想 引用されている宮沢賢治さんの「よだかの星」に泣いた。 著者は 2015 年には恋愛資本主義は崩壊している、と説いているが、 この主張は女性には(「XXきゅん」に萌えられる「先進的な」女性を除く) 「永遠に」理解できないだろうし、「恋愛資本主義」の崩壊も遠い話だな、 というのが感想。 いや、もちろん「恋愛資本主義」体制の崩壊を望んではいるが、 北朝鮮の絶望収容所の中で金正日体制の崩壊を願う一人の政治犯と 同様に、そんな甘っちょろい望みだけに頼って生きていけるほどキモヲタを 取り巻く環境は甘くない。 本書の中には男女の年代別所得表なるものがでてくるが、 要は毒男(独身男、キモヲタ)が「恋愛資本主義」から降りて 脳内恋愛にはしることができるのは、十分一人で生きていけて、さらに 代替物となるエロゲーやなにやら、代替物となるもろもろを購入できる キャッシュフローが毒男にあるからこそ。 ベースにあるのはもちろん「能力給」でなく家族を養える「生活給」という 賃金体系の歴史的経緯からいまだ開放されていない会社が多いからではないか と考える。(調べたわけではない) #その体系によって決められたカネが妻子どころかまして彼女でさえない、 #"萌え"というモノに流れていくことは非常に皮肉だと思う。 そして女性にくらべて30代以降、「恋愛資本主義」下の価値、 すなわち カネ+カラダ のうち、カラダ の価値が が劣化しにくいからだと考える。 強烈にたたかれるのを覚悟して書くならば、「芸のない」 30 代独身は、 「恋愛資本主義」において、己の価値はせいぜい「会社での地位」の 向上がのぞめる程度、あとは劣化するだけである。 ましてニートやフリーター、派遣社員にいたっては 「会社での地位」なんてないから、カネ は増えず、カラダ が劣化するだけ。 経年劣化の度合いは女性の方が大きいから、 「恋愛資本主義」の中でグレードを下げずに生きていくためにはキモメンだろうが なんだろうが収入があれば目をつぶって結婚するしかない。 結婚は現代女性にとって「恋愛資本主義」下で生きるための知恵なのだ。 露骨にいってしまうが、これはつまり「売春結婚」である。 「電波男」著者は「負け犬の遠吠え」の著者や読者層、要は  「売春結婚」を選択しない自分たちを心のどこかで誇りながらも  あえて「負け犬」と呼び、にもかかわらず恋愛資本主義に拘泥しつづける女たち をこれでもか、というほどに叩いているが、僕らが「萌え」をいくらたたかれても 手放さないように、彼女たちも今のライフスタイルを変えないだろう。 著者は家族システムについても言及している。 子供を作り、育てるという視点(おそらく生物としての自然な営みだと 僕も思うが)からの言及がないと、単なる一過性の主張になるとの考えからか、 いくらかむりやり「萌え」と結びつけて述べられているが、 ここには強い同意は感じなかった。 著者は自己の体験からか否定的だが、子供をつくり、育てていくくことで、 そこには”萌え”と同様に「恋愛資本主義」とは別の価値観を築き上げることも 出来るのだろうと思う。僕にとっても遠い世界のハナシだが。 僕の家族システムについての考えはもっと刹那的なものだ。 「恋愛資本主義」は DNA のなせるワザであり、DQN が生き残るのも、 売春結婚も基本はそこにあると考える。 「恋愛資本主義」がどうなろうと DNA がキモメン、ブサメンを拒絶するかぎり、 どこまでいってもキモオタは「恋愛」対象外であるし、 なにより僕はこのシステムの下で家族を作ることに対しては絶望している。 「恋愛資本主義」社会の残酷さに絶望し、絶望収容所の中にうまれくるであろう、 僕の可愛い息子(娘)を想像すると、子孫を残すべきではないと (少なくとも今は)確信しているのだ。 さて、家族システムの継続、という視点をのぞけは (=子供はいらない、家族をもたない、という前提ならば)、 本書は非常に快適なデジタル恋愛の指南書だと思う。 僕は今朝、試しに脳内彼女を作り出し、一緒に部屋の掃除をしてみた。 実に快調ではないか。  「ねえ、お風呂マット干しといてくれない?」  「ほーら、布団干すときはバンバン叩いちゃだめ、表面をこするようにしないと」 すばらしい。 著者は脳内彼女がゴミだしをしてくれない、と嘆いているが、 脳内彼女と一緒にゴミをだしに行けばいいのではないか? とふと思った。 昔流れていた「チャーミーグリーン」のCMよろしく、である。 女性には不可解だろうが、男性、特に僕のようにキモヲタを自覚、 あるいは「負け犬」たちと同じく自らキモヲタを名乗る者にとっては良書だと思う。 そんなことわかりきってるよ、というキモヲタ(wの方に、特におすすめしておきたい。 *初出:「ふにっき」2005年08月01日 by ゆぴてる。